第57回 矯正装置の選択②・・・(この時この装置!)
日々矯正治療を行う歯科医の一人として最も重要視していることと言えば、もちろん”正確な診断と綿密な治療計画”です。そのためには、各種矯正装置に熟知していることが求められます。
前回<第56回 矯正装置の選択①・・・(この時この装置!)>で概略をお話しましたケースの詳細について、装置の特徴に的を絞ってお話したいと思います。
下記の図Ⅰから図Ⅱへ、上顎に使用される装置を中心にどのような治療を行ったか?、留意点にも触れてみたいと思います。
Ⅰ(治療前)
Ⅱ(治療後)
まず、図Ⅰのような重度の叢生(乱杭歯)の場合に、抜歯して歯が並ぶスペースを作るのか?非抜歯で図Ⅱのような状態を目指すのか?という診断をしなければなりません。
図Ⅰの状態からだけ判断して、抜歯ありき!非抜歯ありき!という単純な発想は非常に危険です。上下歯牙の咬合関係、各歯牙の萌出位置、方向、顎骨の形状や顔貌との関係、成長余力、年齢、そして何より、抜歯と非抜歯で行った場合のゴール(仕上がり)の違いを考慮し、患者さんの要望と擦り合わせる、という作業が必要です。治療法による顔貌の変化の違いについては、十分シュミレーションしておかなければいけません。
歯は、力を加えれば簡単に動きます。しかし、元の位置に戻すことは誰にも絶対できない不可逆的な行為なわけです。慎重に行わなければ、最終的には、患者さんに不幸な結果をもたらします。
では、上記の図Ⅰから図Ⅱへ具体的にどのように治療を進めて行ったか、詳細にお話したいと思います。
今回のテーマからははずれますので詳細は省きますが、レントゲン、顔貌等から、上顎骨前方部の劣成長が著明と判明しました。図Aの治療前の青四角の部分を拡大したのが、図Bです。左上側切歯(黄色丸の歯)と左上犬歯(青丸の歯)を、それぞれ矢印の方向に移動させることが、治療の主眼となります。
まず、図Cの青矢印の方向(左右)へ側方拡大しました。図Dが今回使用した急速拡大装置(Rapid Palatal Expansion)です。この装置の適応年齢は25才くらいまでです。男性より女性の方が適応年齢は高いです。最大の特徴は、正中(図Cの青線)で、左右に骨を分離し、顎骨自体を拡大できる点です。
装置自体は、左右あわせて4箇所の歯牙につけて側方に拡げる(図D)のですが、2週間の拡大後は、図Eの青丸の場所(正中)に隙間が開いてきます。図Eの青丸部分を拡大したのが図Fです。1.5㎜の隙間ができています。図Fの青丸部分には装置をつけていないのに隙間ができているということは、顎骨自体が左右に拡がった証拠です。
図Gは、図Eと同日の正面観です。RPE(急速拡大装置)は、歯牙を傾斜させる装置(床装置、クワドヘリックスなど)と違い、顎骨自体の拡大ですので、スペース確保のためには非常に有効です。図Hのように、ブラケット(歯のつけるポッチ)をつけ、できたスペースに向かって左側犬歯エリアの歯牙を右側(図Iの青矢印方向)へ動かします。図Jが、正中にできたスペースが閉じたところです。
次に、図K,Lのように、上顎に、ユーティリティーアーチ(通称U-archという)を装着しました。混合歯列期(乳歯と永久歯が混在した時期)には、非常に有効な装置です。4前歯と第一大臼歯の6本にのみワイヤーを通して、4前歯群の前後、上下方向へのコントロールを行えます。
本症例の場合、図K,Lの青矢印方向(前方)と、黄色矢印(下方向)への移動を行いました。今回使用したのは、U-archの基本形の形状をしていますが、目的別に、バリエーションに富んだ形状に変更していきます。専門的な話になりますので、またの機会にお話します。
U-archを使用したことにより、4前歯が前方向(唇側)へ移動したため、図M(U-arch使用前)から図N(使用後)の状態になって、側切歯の遠心に約2mmのスペースができました。
ここまでの変化を咬合面から見たのが、図Oから図Pへの変化です。6ヶ月かかりました。図Oの青線が顎骨本来の正中であり、図Oの黄色線のように左側(画面では右方向)へ約4mm歯牙の正中が偏位していました。治療後は、図Pのように、顎骨の正中と、歯牙の正中が一致しました。
A
B
C
D
E
F
G
H
I
J
K
L
M
N
O
P
RPE(急速拡大装置)について少し補足します。
同窓の後輩や若き歯科医から、装置についての質問をよく受けます。「私のこのケースにはどんな装置がいいのですか?」
私は答えます。「一つの装置を最低でも10回くらいは使用しないと、その装置の特徴はわからないと思うけど・・・。自分で必ず作製してほしいよね。メカにクスだけ知っていても、その装置を使いこなすことは到底不可能だよ。同じようなケースに同じように使用しても、思わぬ歯牙の動きをすることはよくあることだから・・・顎内での歯牙の移動のコントロールを歯科医が完全にすることは不可能だよ。得意な装置を一つでも持っていると強みだね!」
上記のケースは、元々臼歯部の歯軸が正常なため、傾斜させてはいけないです。もし、RPEで著効が見られない場合は、正中離断などの外科矯正も視野に入れた説明を、術前にしています。あるいは、抜歯してスペースを確保するという選択肢もあります。RPEの適応年齢は、個人差が大きいです。女性ならば、30才くらいまでは、必要と判断したなら使用してみる価値はあります。正中に純粋にスペースができますので、前歯部の叢生改善には非常に有益で、ロスなくスペースを活用できます。もちろん10代なら、確実に正中離断が起こります。
それから、今回は触れていませんが、下顎の歯列弓形態とのバランスは当然加味しなければいけません。最終的な咬合(水平的、左右的、前後的)を決定した上での装置の選択となります。また、RPEの調整法、使用法等にも、いくつかポイントがあります。たくさんのケースを行うことにより、経験値が上がります。
では、続きの治療経過をご覧ください。
下の図Qのように、左上犬歯相当部のさらなるスペース確保のために、青矢印の方向に、大臼歯を後方(遠心)へ移動させます。ここで問題になってくるのが、第二大臼歯が萌出しているか、そして固定源(アンカー)の問題です。固定源とは、ある歯牙の移動を行おうとした時、動かない場所をいかに設定するか?です。図Qは、GMDという装置です。固定源は、3本の歯牙(左右第一小臼歯と右側第一大臼歯)と口蓋のプレートです。
図Rが大臼歯が遠心移動したところです。大臼歯の後方移動の時私はGMDを頻用します。DELA、ペンデュラム、ディスタルジグなども人気のある装置ですが、主に傾斜移動しますので、あまり使用しません。大きく後方移動したい場合は、歯体(平行)移動できる装置を選択するべきです。
図Sで、青太矢印の方向(後方)へ大臼歯が移動したため、青細矢印にスペースができています。
その後、図Tのナンスボタン付きのTPA(Trans Palatal Arch)に変更して、大臼歯を保定しました。
続いて、図U、Vのように、小臼歯2本の後方移動を行います。ここでのポイントとしては、大臼歯部から引っ張るのではなく、図Vの青丸のようにオープンコイルなどを使用して、前歯部から押すことです。せっかく後方へ移動した大臼歯部に、近心(前方向)への力は、極力かけない方が無難です。図Uにおいて、青太矢印(第二小臼歯)、赤太矢印(第一小臼歯)を順番に動かすことも重要です。2本一緒に遠心へ動かそうと欲張らないことです。大臼歯が前方へきてしまいます。
そして、図W、Xになります。犬歯を歯列内に入れるスペースができたところで、図Xのように少しずつ下方向へ力をかけます。ここでのポイントは、ダブルワイヤーにすることです。主線の太いワイヤーとは別に、極細(.012)から、順番に少しずつゆっくりと歯列内へ誘導してやります。そうでないと、歯肉が一緒に下がってきません。
図Yように、ある程度犬歯が下がってきたら、主線に組み込み、図Zのように、上下にゴムをかけて、咬合を緊密にしていきます。
図①がほぼ歯列内に、全ての歯牙が配列された状態です。図②が後戻り防止の保定装置(ホーレー)装着状態です。
図③が術前、図④が術後です。歯体(平行)移動を意識して治療を進めることが、このケースの最大のポイントです。拡大方向の順番は、通常左右→前方→後方です。どの方向への移動が可能かは、ケースバイケースです。またの機会にお話します。
Q
R
S
T
U
V
W
X
Y
Z
①
②
③
④
上記は、上顎の歯牙の動きを装置別にお話しました。
では、治療後の評価を少ししてみたいと思います。
図⑤が治療前、図⑥が治療後です。図⑤において上下の唇が引っ込んだ凹んだ様相であるのに対し、図⑥では、少し前方へ出て、凹凸が見られます。上下の前歯群を前方へ移動させたため、ふっくら感が出て、自然な口元になりました。
次に、歯軸(噛み合わせの平面に対する歯牙の角度)の変化を見てみましょう。図⑦が治療前の右側側面観、図⑧が治療後です。青線が右側の前歯3本の歯軸です。図⑦と図⑧でほとんど歯軸が変わっていません。とても重要なことです。歯軸が治療前後で変化していないということです。言い換えれば、平行(歯体)に歯牙を移動させたということです。
図⑨が治療前左側側面観、図⑩が治療後です。低位(上方)にある犬歯は術前前方へ傾いていましたので、治療後には修正されています。調和の取れた歯軸にすることが求められます。
各歯牙には、咬合平面に対する適正な歯軸というのが決まっています。正常範囲を大きく超えた傾きに仕上げた歯牙は、必ず後戻りします。
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
図Ⅰの治療前の上顎咬合面観を見て、抜歯?非抜歯?どちらでもきれいな歯列上に並べることは可能です。
では、判断基準は何か?と言えば、上顎骨の形状、年齢を考慮した成長余力、成長促進は可能か?顔貌との調和、各歯牙を術後の安定を得れる位置、歯軸にすることが可能か?そして患者さんの要望も大切な決定要素です。
今回は、頻用されている装置のいくつかの特徴をお話しました。まだまだたくさんの装置があります。
いろいろな装置を、”適材適所”で使いわける柔軟な発想、スキルが求められます。
次回は、当医院へ”転医されてきたケース”をいくつかご紹介したいと思います。治療途中にも拘らず、諸問題を抱えて来院された方の場合、難症例になるケースがほとんどです。歯科医への不信感の強い方もいます。精神面へのケアーが必要になってきます。
また、最近転医されてくる方で非常に多いのが、自身のスキルを超えたケースに手をつけ、非常に難しい状況になってしまっている場合です。基本中の基本を怠ったと思われるケースにもよく遭遇します。明らかに術者のスキルの未熟さからくるものは、大きなトラブルになる可能性大です。
もし、歯科医、歯科関係者の方で、「矯正症例相談」等あれば、微力ですが何かしらアドバイスできると思いますので、メール等でのご連絡をお待ちしています。