第60回 一症例入魂・・・(抜歯矯正を3ヶ月で治す!②)
前回<抜歯矯正ケースを3ヶ月で治す!~①>の続きの話をさせて頂きます。
少しだけ復習をしておきます。
矯正治療(歯の移動で歯並びを治すことをOrthodontic な治療という)において、”1ヶ月に約1mmまでの歯の移動に留める”という大原則があります。
強い力が歯牙に及ぶと、歯牙の移動は起きますが、周囲に骨の添加が十分に起きなかったり、歯根が吸収、あるいは失活歯(神経の途絶えた死んだ歯)になることもあります。ですから、3ヶ月で以下のケースの治療を完了させるのは、通常の矯正治療法では絶対に不可能です。
重度の叢生や上顎前突や下顎前突の場合、スペースを獲得するために小臼歯を抜歯すると、左右に約7~8㎜の空隙ができます。抜歯スペースを閉鎖して新しい咬合を確立するためには、どんなに順調に治療が行われても約1年はかかります。3ヶ月という治療期間は無謀なわけです。
ただ、私たち歯科医は、歯並びに悩まれている方が少しでも治療が受けやすい環境作りをしてあげることが必要であると思います。
そこで、治療期間の大幅な短縮の手法について当医院での事例てご紹介させて頂きます。
”選択的歯周組織穿孔術(Selective periodontal decortication)”という治療法です。
多くの長所を兼ね備えた治療法です。骨の脱灰、再石灰化がダイナミックに起こることから、術後の歯牙の安定にも大きく寄与します。後戻り(リラップス)が起きにくい環境も整います。
「患者主導」、「患者本位」の歯科治療ということが叫ばれている昨今ですから、治療期間短縮が可能な治療法について、治療オプションとして必ず提案することが必要ではないか!と思っています。多くの長所を兼ね備えた治療法です。
”大幅な治療期間短縮”は、治療に躊躇されている方への福音となることは間違いありません。
では、当医院の症例で具体的にご説明します。
図A~Hが初診時の口腔内です。図Aのように、口元は上唇が翻転し、頤(オトガイ)が後退した典型的な上顎前突(出っ歯)の様相を呈しています。図Bのように口腔内の横からのアップでは、上顎の前歯群が顕著に前方へ出ており、下の前歯は引っ込んでいます。
また、過蓋咬合(かみ合わせが深い)であることも見て取れます。
図C(右側面観)、図D(左側面観)からも上顎前歯部の前方転位、唇側傾斜とともに上顎骨自体の前方への過成長が疑われます。臼歯部(奥歯)関係もⅡ級(出っ歯のかみ合わせ)で、4本抜歯は避けられないケースというのは一目瞭然です。
図E(上顎咬合面)では歯列弓が馬蹄形で、理想的な半円型とは程遠く、軽度叢生も認められます。
図F(下顎咬合面)は重度叢生で、狭小化した歯列弓といえます。
図Gの正面観では、下の前歯に上の前歯が覆い被さった過蓋咬合が顕著に現れています。図Hのように、上下の前歯のずれは、15mmと非常に大きく、歯牙の移動で短期間に治癒させるためには、それなりの工夫といいましょうか、策を講じないと無理とおわかり頂けると思います。
A
B
C
D
E
F
G
H
上顎前突が重度であること、咬合平面が大きく乱れていることは、治療の難易度の高低という問題よりも、治療期間がどうしても必要なケースといえます。
では、治療経過をお話します。
歯牙に矯正装置をつける前に、”Corticotomy”といって、歯槽骨の皮質骨(骨の外側の硬い部分)をブロック状に切断します。
術後の歯肉退縮の原因とならないよう骨膜を挫滅させないことが重要です。
そして、図Kのように歯間部の皮質骨に切れ目を入れます。海面骨に達するまで縦方向に根尖相当部まで十分に骨を切断する必要があります。裏側(口蓋側)も同様に行い、各歯牙がぶらぶらの状態で分離されていることを手指にて確認します。
手技の上で一番気を使うのは、外科処置全般に言えることですが、術後の感染の心配です。処置中の唾液の混入は禁忌です。2サクションにて常に清潔不潔の区別をしながらのオペは必須です。
また、図Lのように、採血させて頂き、ご本人のPRP(多血小板血漿)を利用すると軟組織の治癒と骨造成の早期促進に一躍かってくれます。
図M、Nのように、下顎についても上顎と同様にCoticotomy を行いました。下顎の場合、歯根間が近接しているため、上顎以上に慎重な手技が必要となります。粘膜も薄いため、剥離を慎重に行うとともに、腐骨形成の原因となる皮質骨切断時のドリルによるOver heating への十分な配慮も必要です。
図Oが縫合が終了した上下顎前歯郡です。緊密にしかもテンションをかけない基本に忠実な外科処置を行います。図Pが下方向からのアップです。外科処置前に舌側へブラケットを装着しておき、外科処置後にワイヤーを装着しました。
I
J
K
L
M
N
O
P
図Qが上顎咬合面、図Rが下顎咬合面観です。上下小臼歯4本を抜歯をしています。First wire として弾性の強い .014(NiTi)を装着しました。小臼歯抜歯窩から、ラウンドバーを用いて、近遠心側へのCorticotomy も同時に行っています。
Q
R
S
T
リスクの全くない外科処置というのは存在しません。術中、術後に起こりえる可能性のあることへの対応を常に考えておき、対処できる体制作りが大切と思っています。若年者で、しかも審美領域(前歯部分)への外科処置は、特にテクニックを要します。歯周組織への配慮にも気を使います。
外科処置後の「痛み、腫れ」は患者さんにとっては、最もつらいことです。外科処置の一つ一つの手技を確実に行うことにより最小限にすることが可能になると考えています。
図W、Xのように、上顎前歯部の舌側に装着したブラケットを意識的に下顎の切端(先っぽ)にあてることにより、速やかに咬合挙上し、大臼歯部の挺出を開始しています。
図&の左右第一大臼歯間を繋げている棒のようなバーである”TPA(トランスパラタルアーチ)”は上顎前突ケースの舌側矯正では、ルーティーンとして行うべきと考えています。術者可綴式にすることにより、治療中バリエーションにとんだ作用を簡単に付与することもできます。
U
V
W
X
&
Y
その後、7~10日間隔で、ワイヤーを交換していきます。ライトフォース(50~70g前後の力)でも、非常に早く歯牙移動が起こります。.レベリング(前歯群の歯列のコーディネート)、プリトルク(前歯群の後方移動の前準備のための整直)を.016→.017×.017→.017×.025のワイヤーで順に行った後、リトラクション(6前歯群の後方移動)を開始しました。
一ヶ月足らずの治療経過が下記の6枚の図になります。
図②のように、下顎大臼歯部のレジンスプリント(プラスチック製で連続して歯を覆っているもの)は、臼歯部の咬合の確保とアンカーの補強という2つの役目を果たしています。来院ごとに、咬合面のレジン部分を削除して咬合を確保しながら挺出を促しています。
14日後の図③、④の時には、レベリング(6前歯群の歯列のコーディネート)を終了しました。
その後、抜歯スペースへの前歯群の後方移動(リトラクションという)を14日後には開始し、20日後には矯正用ミニ・インプラントを利用しての後方移動も開始しました。
図⑤、⑥の治療開始28日後には、抜歯スペースの約三分の一を閉鎖することができました。
図⑥の下顎歯列においては、第一小臼歯の後方移動を行っているところです。
①
②
③
④
⑤
⑥
下図の上顎咬合面において治療前(図⑦)と、一ヵ月後(図⑧)の比較をわかりやすく見てみましょう。
図⑦から図⑧への変化ですが、図⑧の青曲線のように、図⑦に比べると前歯6本が凹凸なく一つの曲線上に配列されています。この作業をレベリングといいます。
また、左右の黄色丸の部分が抜歯スペースなのですが、抜歯直後約8mmあったのですが、図⑧の28日後には、4~5mmの約半分になっています。前歯群がその分後方移動したと言えます。
⑦
⑧
また、口元の横からの拡大でみてみますと、図⑨(治療前)から図⑩(28日後)で黄色線の上下の前後的なずれ(出っ歯の程度)が15㎜から10㎜に大きく改善されました。
一ヶ月足らずでこれだけの歯牙、歯列の変化を達成させるためには、外科的なオプション治療を行わないと絶対に不可能です。
⑨
⑩
その後の治療経過については、次回お話します。
患者さんの立場での歯科医療を考えたとき、”治療結果が同じ”という前提に立てば、”治療期間が短いほうが良い”に決まっています。
矯正治療に関して言えば、抜歯しての矯正は、”1年以上通わなければ治療できない!”と言った既成概念での提案では、患者さんの要望に答えられないことが、多々あります。
当医院に限ったことではないと思いますが、グローバルに活躍されている方が最近非常に多いです。例えば、”半年後に留学する””1年後に海外勤務を控えている”といった制約の下での治療プランの提案が必要なケースに頻繁に遭遇します。
”そんな無茶な要望を言われても・・・”と言って、頭ごなしに治療法はない!と否定するのは簡単ですが、悩みに悩まれて来院される方へどうにかしてあげたいし、治療法があるのなら提案するべきと思います。
先人たちが築き上げてきた基本に忠実な治療法をベースに、多分野の専門的な手技をコンビネーションした治療法が求められる時代になってきたと痛感します。患者さんの多様なニーズにどれだけ答えれるか?歯科医療全般を扱う開業医としての真価が問われる時代に入ったとも言えるのではないでしょうか?