第117回 診断力を身につけるトレーニング・・・②
前回のODC例会(「第116回 診断力を身につけるトレーニング・・・①」)でグループディスカッションによる症例検討を行ったケースの続きについて触れてみたいと思います。
日々の歯科臨床において、自身の知識・経験を総動員して精力を費やさなければならない最も重要な業務は、”診査・診断”であることに異論のある歯科医がいるはずもなく、また、最も力量が試される工程である。
診断が間違っていたり不確定なまま見切り発車の治療を行えば、当然治療中・治療後に問題が起こる可能性が増します。上図の患者さんは、当クリニック初診時の20代の女性の口腔内である。患者さんが訴える主症状は顎関節部でしたが、その他にも多種多様な自覚症状をお持ちでした。上顎前歯部には通称”メタルボンド”と呼ばれている保険外治療に使用するセラミックの被せが装着されていましたが、セラミックを使用したから良質な治療が行えるという発想は全く間違っています。”生体に親和した生理的で機能的な環境を如何に整えるか?”といった事前の処置が最も重要なことです。
問題点をピックアップし、原因を突き止めるための精密な診査が必要になります。前医によるコンセンサスの得られにくい不可逆的な治療が随所に行われていました。
下の図Aが初診時のパノラマX線です。一見大きな問題はなさそうですが、右下2相当部へ埋入されていた粘膜貫通型の一世代前の1ピース型のインプラントは、骨結合が失われていました。
2,3年前に処置したとのことで、インプラントは両隣在歯と連結されていて、ポケット内からは排膿(膿が出ている状態)している状態でした。1ピースタイプのインプラントの難点の一つである既存のカウントゥアを利用するしかないため、歪なエマージェンスプロファイルしか与えられません。
そして、さらに問題を複雑化、重症化させているのは、生理的・機能的な許容範囲を超えた下顎位でしか咬むことができない状態になっていたことでした。
図Bがこの方の中心位(CR=生理的顆頭安定位)での正面観でした。CRとは、顎関節部が最も円滑な運動が行える顎位で、口腔周囲筋によって支配・誘導されるべきで、歯牙に誘導されない顎位ともいえます。
前医により咬合平面が波打ったままで補綴処置が施されており、何よりも、適切なアンテリアガイダンスの欠落でした。側方運動時、左右側ともに切歯部の1本のみでガイドしているため、下顎の前歯部に、重度の咬合痛と動揺が認められました。
問診により図Cのように多くの顎関節症状を有していて、日々の食事もままならない咀嚼障害を合併していました。
そこで、顎関節症状の緩和と本来の下顎位を模索するために、図Dようなスプリントを装着して調整を繰り返しました。スプリントには、右上3相当部に側方運動時にガイドティースの役割をするガイド面の形態を付与し、プロビジョナルレストレーションとして調整を繰り返しました。
スプリント使用の利点は、不可逆的な処置からの回避です。アンテリアガイダンスの部位や傾斜角度の付与を暫間的に自由に行え、、ポステリオディスクルージョン(臼歯部の離開)の部位・量とその確認も自由に行えます。
図Eは初診時の口腔周囲筋・顎運動の検査記録です。さまざまな口腔周囲筋に運動痛や圧痛が認められました。また、開閉口時、下顎が左側へ偏位することから、円滑な下顎頭の滑走運動が左側で行えていない顎機能障害を呈していることも判明しました。また、右側はクリック音を認め、運動時に右側顎関節部の自発痛も訴えられていました。
A
B
C
D
E
図Fはデジタル化された顎機能検査の診査結果です。咀嚼運動というのは、下顎頭を中心とした顎関節部・歯列(個々の歯牙の位置を含めた咬合関係、咬合面形態に依存する咬合様式)・口腔周囲筋の機能運動の3者が三位一体となってバランスが保たれています。
プロビジョナルレストレーション(このケースの場合スプリント)を調整して機能的に生体が許容できる下顎位を見つけ出していきます。とても時間のかかる作業です。そして、最終的にはその顎位を咬合器にマウント・連動させ最終補綴物の作製を行います。
図Gの左上の写真が、最も上下顎の歯牙が接触している面積の広い咬頭嵌合位(ICP)で、歯科医が人為的に決定した誤った顎位です。言い換えれば、患者さんは、この位置では咬めない、咬み合わせたくない位置ということです。
右上の写真の位置が円滑な顎運動が行える顎位である中心位(CR)です。ICPとCRの位置が大きくずれています。CRに近い位置で咬頭嵌合できるように修正していかなければいけません。
図Gの下の写真が、治療開始1年後です。咬合平面の彎曲化がかなり改善され、中心位での咬頭嵌合が確立しつつあります。患者さんの不快症状が徐々に軽減されていきました
長年に渡る不適切な顎位で補綴されたことによる偏咀嚼を短期間で修正することは困難を極めます。オーラルリハビリテーションへの道はとても根気のいる患者さんにとっても苦痛を伴います。精神的にも非常に病んだ状態で当クリニックに来院されましたことは言うまでもありません。
幸いにも、スプリントを装着・調整することで、徐々にではあるがさまざまな自覚症状が軽減されてきたことにより、患者さんとの信頼関係の構築とともに自身が治療に対して前向きになっていきました。
そこで、早期接触による咬合干渉と咬合平面の是正のために上下顎歯列の再配列、個々の歯牙の位置異常の改善が必須のため補綴治療の前処置として矯正治療を開始しました。
図Hの上の2枚の写真が初診時の上下顎咬合面、下の2枚の写真が矯正治療開始6カ月後です。
上顎は、本来の歯列弓の形態である半円型へ尖型から改善され、下顎歯列弓は、臼歯部のアップライト(整直)によるスペース獲得を利用して前歯部の叢生を改善し、咬合挙上の効果で切歯部の側方運動時の早期接触を消失させ、新たなアンテリアガイドティースを付与しました。
この頃には患者さんの不快症状はほぼ消失し、治療に対して非常に前向きになってくれていました。
F
G
H
図Iは、右下2番相当部の不良インプラントを撤去し、右下1番根尖部の病巣への根管治療をした経過レントゲン像です。既存病巣部が新生骨へ置き換わっていることを、3~4か月毎のX線像で経過を追っているところです。自身が行った処置の再評価を繰り返し、次のステップへ進んでいきます。咀嚼能率や両側での咬合不調和のバランスをとる、という観点から左下7番相当部へは、新たにインプラントを追加埋入しました。
矯正治療によるレべリング・アライメントがほぼ終了した時点で、歯根歯折していた右上2番を抜歯しインプラントを埋入するとともに上顎前歯部の根尖病巣の大きなエリアは外科的歯内療法を行いました。順序立てて、補綴前処置を進めていきます。
I
J
全ての不快症状が消失したことを確認し、ファイナルプロビジョナルレストレーションに置き換えて、さらに経過を追っていきます。現在最終補綴物へ移行するための全ての前処置は終了したところです。
ここまでに1年半の歳月を要しています。長い道のりではありますが、食事時の不自由さが全くなくなり、患者さんとの信頼関係は良好に推移しています。
冒頭の繰り返しになりますが、診査・診断は、最も重要かつ時間をかけて行うべき工程です。
治療方法は何通りもあるにしても、診断は誰が行っても1つであるべきと考えます。
昨今、複雑な病態に陥っている方が、どこの歯科医院へも多く来院されていると聞きます。その一番の原因は、私見ですが、医原性の疾患に陥っているためと思われます。歯科医が治療を行うたびにさまざまな不快症状が追加されていくのでは治療行為とは程遠いわけです。
できることならば、最小限の治療介入、処置でメインテナンスに移行したいと全ての歯科医が思っているのですが、良質とは言い難い多数歯に渡る補綴処置が行われている場合、多くの問題が複雑に絡み合って現症に至っています。
ある意味、私たち歯科医が毎日行っている行為のほとんどは、言葉は適切ではないかもしれませんが、”前医の後始末””修理屋”なのかもしれません。
品質の高い”修理屋”になるためには、各ステップでの治療のスキルアップはもちろんのこと、その前提となる”診査・診断の精度の高さ”に重点を置くことが求められている!、と声を大にして言いたいです。
歯科医による学術のスタディーグループであるODC(Okayama Dentists Club)を通じて、”王道である医療行為を良質に行える、包括的な患者本位の治療が行える歯科医が育ってほしい!”と思います。
次回は、さらに複雑な下記のケース(下の9枚の写真)について、”診査・診断”を中心に私見を述べてみたい。