第72回 何軒もの歯科医院で”無理です!”と言われた
先週は、「スタディーグループ立ち上げ!」の場で、ケースプレゼンをさせて頂いた。総論的な話題に終始したので、私の日々の臨床への姿勢をどのように感じてもらえたか?不安も残りましたが、、ご参加して頂いたドクターからは、概ね参加への快諾を頂き、スタートラインに立てた、という安堵の気持ちでほっとしています。
歯科医療への情熱を持った先生方と、共に研鑽、切磋琢磨し、学術的に歯科界の発展に寄与できる集合体、先駆体になれば、と思っています。
今後とも、宜しくお願いします。
ところで、毎週のことであるが、土曜日の診療は、とてもパワーがいる。「遠方から来院の特殊な治療」、「時間のかかる繊細さのいる治療」、「大掛かりなオペ」などがあり、心身ともにタフさが要求される。先週、そして先々週もオペの準備等で昼休みが全くとれないない状態で、スタッフには本当に申し訳なく思っている。また、終業も、9時、10時が当たり前になってしまっている。スタッフの立場で考えると何とかしなければ、という思いはあるのだが・・・。
当クリニックの場合、毎日が矯正診療日であり、毎日オペが可能という体制にあるのだが、土曜日を希望される方が断然多い。平日に来院できる方は、できればご協力して頂ければ有難いです。
毎週土曜日の診療後は、一口腔単位あるいは複雑な歯科治療の経緯をたどって転医されてきた患者さんなどの「治療計画書」、「ご報告書」等の資料作りをしている。採得したデータを見比べながら、頭をフル回転させている。
本来、診断、治療計画の立案は、歯科医が最も時間をかけるべき自身の知識を総動員して行うべき作業で、力量が試される重要な工程であると考えている。
A、B、Cというようにいくつかの治療方法の提示、選択ができるよう心掛けている。患者さんの要望に対して、全否定するような「無理です」と言ったり、「この方法しかありません」のような断定した言い方をしないよう努めている。
当クリニックでできること、できないこと、こだわっていることなどをお話させて頂いた上で、セカンドオピニオン(別の歯科医の意見を聞く)を推奨しています。当クリニックでの相談が始めての方にも、他の歯科医の意見も聞いてみては?と促すようにしている。可能な限り多くの正しい情報を得ることは、患者さんの権利に他ならないからです。
特に、時間や費用のある程度かかる治療に関しては、十分過ぎるくらいの歯医者巡りをしてから決定して頂きたいものです。ハード、ソフトがしっかり備わっていることはもちろん、歯科医の知識、技術、経験等についても比較して頂いて、可能な限り情報を得てから判断してほしいと思います。
先日オペを行った方の1人は、当クリニックで5件目とのことでした。4件目までの歯科医院では、自身の要望に応えうる治療法を提示されなかった、つまり「できません!無理です!」という返答だったとのことです。4件目の歯科医院から、当クリニックに相談にいかれてみては?というアドバイスがあっての来院でした。
では、症例の概要を説明します。
図C,Dのように本来の位置からかなりの前方へ、下方向へ伸びている状態でした。患者さんの要望はただ1点で、「一日も早く固定式の歯を作ってほしい!何でも食べれるようにしてほしい!」でした。
A
B
C
D
当クリニック設置の歯科用CTにて、診断用ステントを装着して撮影した3D像の一部がが、図E,Fになります。
下顎については、骨量が全域に渡って必要量存在していましたので、標準的なインプラント埋入手技で問題ないと判断しました。
通法に従い、図G、Hのように10本埋入した後、初期固定のよかった6本を支えに即時負荷、即時に固定式の義歯を装着しました。
しかし、上顎の臼歯部(奥歯)は、全く骨がない!といえるくらいの状態でした。
図Iがパノラマ像です。上顎の両側犬歯相当部付近まで前方へ上顎洞が張り出してきていて、洞底部までは全域に渡ってい1㎜くらいしか骨高がない状態でした。上顎の奥歯にはインプラントが埋入できない状況でした。
E
F
G
H
I
このよなケースの場合、一般的には、サイナスリフト(上顎洞挙上術)という骨造成をしてからインプラントを埋入します。
サイナスリフトの詳細についいては、、インプラント最前線のページの<第8回 サイナスリフト(上顎洞挙上術)・・・基本編>や<第9回 サイナスリフト(上顎洞挙上術)・・・上級編>をご覧下さい。
CTのセクション像を丹念に診ていくと、図J、Kの赤丸の箇所のように、骨が全くない場所が散乱している状態でした。
これは何を意味するのか?です。
J
K
前置きが長くなってしまいました。”限りなくサイナスリフトができない症例!”だったのです。
この方は、約20年前に上顎洞炎のため上顎洞の根治術をしていました。そのため上顎洞内周囲の骨がぼろぼろ、つまり口腔や鼻腔との境の骨の壁があったりなかったりの状態でした。シュナイダー膜(上顎洞粘膜)も、骨面に癒着しているか、存在しないと推察されました。上顎洞根治術後、洞内が骨化する方もいるのですが、病態はさまざまです。
懇意にしている耳鼻科医と連絡を取り、CT像からの所見、アドバイスも頂きました。
当医院に来院前の4つの歯科医院では、ほぼ同じ治療法が提案されました。
上顎の犬歯間に2本ないし4本のインプラントを埋入して、マグネットなどで動きにくい義歯、つまり”半固定式の入れ歯にしましょう”でした。その他の提案はなかったそうです。
患者さんの唯一の要望は、”固定された何でも食べれる被せ”でした。
当クリニックでは、オペ中に変更もあり得るということを前提で、上記以外に4つの提案をしました。
1)サイナスリフトして骨造成後インプラントを必要本数埋入する(できる可能性は10%以下)
2)犬歯間と結節埋入を利用する。但し、前方部への埋入本数、骨質などによっては断念もあり得る
3)上顎洞内へのインナーブロックグラフトで骨造成してからインプラントを埋入する
4)犬歯間と頬骨インプラントで固定させる
上記の1)→4)の順でオペの難易度は上がります。但し、このページの最初の方でお話したように、「無理です!」とか、「この方法しかありません!」という一方的な対応ではなく、患者さんの要望に対しての可能な治療法をいくつか提示することは、医療従事者として、当然の義務ではないか?と思っています。
上顎の全歯欠損の場合、10年単位の予知性を考えると、6~10本のインプラントを埋入したいところです。
術中の経過、及び術後です。
図Mのモニターでの監視下、歯科麻酔の専門医による静脈鎮静を開始します。鎮静下によるオペは、安全・安心なオペには絶対必要不可欠で、術者がオペに集中するための心強い仲間、オプションと考えています。
当クリニックでは、オペ中脳波を測定して鎮静の深さを管理できる現時点では最先端かつ最強の機器を導入しています。
感染防止の意味から、図N,Oのように全身ドレープ(布で覆う)をします。長時間のオペでも、患者さんに不快感を与えず、健忘効果も期待できるため、、鎮静下でのオペの術後の患者さんの満足度は一様に非常に高いです。
L
M
N
O
図P,Qは、オペを開始したところです。高度な外科処置には、必ずチームが必要です。5人(術者、第一、第二介助、器具出し、歯科麻酔医)の連携で成立します。当クリニックでは、現在2つのチームを編成して、各チームのレベルアップに努めています。
図Rはインプラントを埋入しているところ、図Sは外科用ステントです。
図Tは、CTデータ(DICOM)を解析ソフトでシュミレーションし、インプラント埋入予定部位の各セクションの骨量、形態を表示したものです。当クリニックのCTは、0.2㎜ピッチの非常に詳細な骨の情報が得られます。
P
Q
R
S
T
サイナスリフトはまずできないだろう、という想定の下に器具、材料、薬品等を準備し、術中に次の一手を考えながらのオペになりました。
図Uは右側小臼歯付近の頬側のフラップを開けたところです。図Vの青丸の箇所は上顎洞と交通していました。歯茎をめくっただけで、既に穴が開いていました。上顎洞粘膜の挙上を他の部位から何度かトライしましたが、想定していた通り、サイナスリフトは不可能でした。そのため、上記の提案1)は断念しました。
図Wは、上顎洞の前壁の正確な位置を印記しているところです。小さな骨窓からプローべ(歯周ポケットの深さを測る道具)を差し込んで、前壁に直に触れながら、骨のある最遠心側を確認、マーキングしています。
その理由は、できるだけ後方にインプラントを埋入したかったからです。補綴のことを考慮して、図Xのように、何とか6本埋入することができました。左右の最遠心部のインプラントは、傾斜させ、鼻腔側の硬い骨(皮質骨)にあて、バイコーティカルの強固な初期固定を得れました。
U
V
W
X
さらに、左右の上顎結節へピンスポットで傾斜埋入し、合計8本埋入したのが図&です。左右とも結節の骨質が心配でしたが、何とか45Nかけれましたので、図Y,Zのように6本を支えに、即時負荷、オペ直後に固定式の入れ歯にすることができました。
即時負荷を念頭においたインプラント治療は、状況にもよりますが、テクニック的には非常に難易度が高く、負荷をかける場合の確固たる基準の下に行われるべきです。
図Ⅰが、術後のパノラマ像です。上顎の全歯欠損の即時負荷の場合、予知性を考慮すると、最低6本、できれば8本必要と考えます。最近の文献では、抜歯後待機ではなく、即時に多数歯をスプリントすることの生物学的なメリットも論じられるようになりました。ただ、上顎については、All-on-four的な小臼歯までの4~6本ではとても不安というのが、私の見解です。
&
Y
Z
Ⅰ
患者さんの要望を満たし、骨造成せず、しかもオペは、下顎1回、上顎1回で終わりです。患者さんへの説明としては、非常にわかりやすく、シンプルなため、受け入れやすい術式といえます。
可能ならば、治癒期間を待っている間も口腔機能を落とさない!という治療法は、多くの方の望むところです。
もし、骨質が悪かった場合は、インナーへのブロック骨移植や頬側インプラントも準備していました。
今回は詳細を触れませんが、前歯部分のリッジの骨幅が非常に狭く、等間隔に埋入するのに苦労しました。
CT像はほぼ正確なのですが、骨のあるところはどこか?どこまであるのか?部位による骨の硬さは?などは、最終的に術中直視あるいは計測して確認します。
オペ翌日来院された時、治療前、”鳥の嘴”のような口元だった上記の患者さんは、本当に口元がよくなったと家族に言われ、20年ぶりに食物を咬んで食べれた!と感慨深げに話してくれました。本当にうれしい瞬間でした。
もちろん”まだ仮の歯ですので、硬いものは控えてください”とアドバイスしました。
上記のケースの場合、テクニック的にはいろいろなポイントがあります。また、仮歯の咬合はどのように決定したのか?も大事な点です。補綴学の知識、そしてインプラント特有の咬合の与え方の基本もあります。またの機会にお話します。
いずれにしても、自身ができるできないに拘らず、歯科医療として現在行われている治療法を全て提示することは、医療従事者として当然の義務ですし、患者さんは知る権利があります。
「患者主導」、「患者本位」の治療のために自身はどこまで何ができるのか?臨床家としての向学心、探究心の原点は日々の診療にあります。